宿曜占星術は長い歴史を持つ占いです。最も古くはインドにさかのぼります。紀元前1世紀にインドで月の軌道を基に宿曜という基準を作ったことがルーツとされています。
宿曜占星術のルーツに迫り、どのように日本に伝わり、どのように占いとして大成したのかを体系的に説明しています。
宿曜占星術のルーツ
宿曜占星術のルーツは紀元前1000年ほどのインドにあるとされています。宿曜占星術では、宿曜をベースに占いますが、その宿曜の基となる宿曜経を表したのが、知恵の菩薩である文殊菩薩であるとされています。

宿曜経はその後、インドから中国にわたります。その際、文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経として経典に残します。
ここからも、文殊菩薩が深く関わっていることがわかります。とはいえ、文殊菩薩は釈迦の姿の一つなので、あくまで伝承にすぎません。
次は実際に由来についてお話しします。
宿曜占星術の由来
宿曜占星術は、インド占星術が起源になっていると言われています。今からおよそ3000年前にインドで、宿曜経の基本でもあり、二十七塾、十二宮、七曜を用いた占星術が作られました。実際に誰か作ったのかは定かではありません。
その後、不空金剛という唐の密教僧が、宿曜経を中国語に訳しました。その中国語版宿曜経を日本に持ち帰ったのが、弘法大師である空海です。これが日本に宿曜経がもたらされた由来です。
次にその発祥を探りましょう。
宿曜占星術の発祥
宿曜占星術は弘法大師空海が唐から持ち帰った宿曜を宿曜道として大成させたことが発祥です。
日本の密教僧空海は中国から宿曜経を持ち帰り、日本でも宿曜が研究されるようになりました。そして宿曜経を使って事の行く末を占うようになり、宿曜占星術が生まれました。
宿曜占星術は、当時は宿曜道と呼ばれ、平安時代には陰陽道と力を二分し、力を競い合いました。
空海がもたらした宿曜経を研究、さらに唐から得た情報も併せて、宿曜道として成立しました。
これが宿曜占星術の発祥とされています。
ちなみに、あの源氏物語にも宿曜師が登場し、占いをする場面があるほどですから、当時の宿曜道がかなり流行していた事が伺い知れます。
宿曜占星術のそれから
日本の宿曜占星術は、平安時代の宿曜道から始まりました。
その後日本では、鎌倉時代・室町時代と宿曜道は一定の流行を見せますが、腕の立つ宿曜師は南北朝時代に途絶えてしまい、以後は宿曜道がなくなり、宿曜占星術だけが残る形になりました。
しかし、宿曜占星術の力は人々を魅了し続け、かの織田信長が戦術を練る際に宿曜占星術を利用したとされ、逆に江戸時代になると徳川幕府は、あまりの的中率の高さに、宿曜占星術を禁止するといったこともありました。
こうして、占いとしての宿曜占星術は以後も発展を続け、今に至ります。
長い歴史の中で、たくさんの賢者たちに培われてきた宿曜の知識があるからこそ、信ぴょう性、的中率に結びついているのだと考えられます。


